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露呈した麻生首相の器

2008/11/01 05:49

 

新聞記者というものについて考える事に

社会の中に様々に隠されている事を見つけ、あるいは掘り起こし

読者や一般の人々に、提供するという役割を持っているものと考える。

 

その提供されたものをどのように捉えるのかは

受け手側にいる読者に任されるものであると考える。

 

言論統制のある社会では

提供する内容に制限が設けられる事になるため

受け手側には選択する余地が無い。

 

しかし制限の少ない自由社会に於いて

提供される情報が必要であるかないかは

受け手側で判断し選択する事が出来る。

 

どちらが良いかは考えるまでもないこと。

 

しかし管理されていない様々な情報は

知らずの内に何らかのバイアスが掛けられている事もあるため

受け手側には情報を読み取る力が必要になって来る。

 

所謂、メディアリテラシー能力が必要となる。

 

然し乍ら過度に垂れ流される情報を煩わしく考え

言論を統制する様なあり方に向かってはならず、それでは自由を放棄し

民主主義を諦めた事にもなってしまう。

 

その様な事からも

記者の取材した対象がどうであるかを判断する場合

出来るだけ素の状態を入手し、確認出来る事がもっとも良いものと考える。

 

その上で受け手側にいる個人として

自分なりの判断を下すべきである。

 

そのような視点を持って見れば

今回の北海道新聞記者の麻生首相ブラ下がりでの質問は

首相の素を引き出したという点に於いては十分以上評価出来るものであり

下らないとして切って捨てるものでは決してない。

 

寧ろ経験の足りない記者で在るにも関わらず

天晴れであったと考える。

 

この情報をどのように判断するのかは

個人それぞれの自由に任される。

 

 

 

 

そして麻生首相は何の芸も無く

駆け出しの記者から素を引き出されてしまった。

 

首相という要職を考えるのであれば

モノゴトに動じない器であり、度量を備えているべきと考える。

 

しかしである・・・

 

北海道新聞の記者には大変失礼ではあるが

ある意味ではいい大人が幼稚園児の言葉にキレてしまい

年端もいかない幼稚園児を感情も露に怒鳴りつけてしまったともいえる。

 

その事を福島記者はうら若き女性としたが

私の場合は幼稚園児に対する態度ではないのだろうかと考える。

 

この事は、決して北海道新聞の記者をバカにしているというのではなく

それぐらい首相という立場と新人記者の差はあるのではないのだろうか。

 

一見、正統派のエスタブリッシュメントであり

為政者として国家をまとめる素質を備えている様にも見えるが

しかしこれほど短気なのでは難しいのではないのだろうか。

 

打ち出した政策にも大いなる疑問符がつく。

 

尤も、私の場合は小泉元首相の改革路線に反対していた段階で

次期首相としての能力を見限っていたので

福島記者の麻生首相評価とは一致してはいない。

 

その様な事からも

私の場合は今回のキレてしまった事に於いて

首相の器ではない事を再確認出来たと考えている。

 

今日の日本の段階であり状況は

国民におもね、これまでの自民党政治であるポピュリズムではなく

キッチリと国民に対して痛みを突き付けて行く首相が必要と考える。

 

大阪府の橋下知事路線こそが

国政の場に於いても必要と考える。

 

麻生首相はあくまでも守旧派であるため

それでは政治改革や官僚制内閣を変えて行く事は不可能と考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリ: コラむ    フォルダ: 指定なし

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